
← 『芦田の毎日』29. Sept. · 19 Min.
『シラバス論』(芦田宏直著)は、機能主義を批判しているように見えて、機能主義的ではないか、という貴重な議論をいただきました。再掲しておきます。
<p>提供された文章<a href="https://ashidahironao.sakura.ne.jp/blog/cat35/post-537.html" target="_blank" rel="noopener noreferer">https://ashidahironao.sakura.ne.jp/blog/cat35/post-537.html</a>は、芦田宏直氏の「機能主義批判」および「新人論」と、彼が強くこだわる「シラバス論」との間に生じる矛盾や緊張関係について、生成AIと文芸評論家の前田嘉則氏が交わした対話を軸に考察したものです。</p><p>芦田氏は、人間を単なる入力と出力の因果関係やデータとして捉える**機能主義的な人間観**を批判し、既存の予測を裏切って新しい未来を切り開く「新人」を生み出すことこそが教育の本質であると主張しています。</p><p>一方で、彼は極めて詳細なコマシラバスの作成や授業設計にも執着しており、これが機能主義的ではないかという疑問が提示されます。</p><p>AIとの対話では、この「機能主義批判」と「緻密な教育設計」のねじれが議論され、シラバスは未知を排除する制御装置ではなく、未知の出来事を引き起こすための精密な枠組みとして機能しているという解釈が導き出されます。</p><p>しかし、最終的な芦田氏自身のコメントにおいては、高度に体系化されたシラバスの真の目的は計画の最適化にあるのではなく、学習者に\*\*「長い時間」を滞留させること\*\*自体にあると指摘されています。</p><p>つまり、詳細なシラバスという構造に身を晒すことで、他者を単なる機能ではなく予想外の出会いとして見出し、新人としての能動的なエネルギーを発揮させることができるという、高度な時間論に基づいた哲学が明らかにされています。</p>